この項はセリフや画面の詳細なネタバレを含んでいます。
神戸守氏の演出による長尺の場面を見ていて、そのシーンに非常に没入できることがあります。有り体に言えばシンクロ率MAXと言いますか…。例えば『コメットさん』1話最後とか『エルフェンリート』13話クライマックスとかです。私はそれを勝手に『神戸グルーヴ』と呼んでましたが、その正体が何なのか、今まで分かりかねておりました(音楽のせいかなと思っていた)。
ところが、今回アニメ版『苺ましまろ』の6話を観て何か分かったような気がしましたので、その考察を述べさせて頂きます。何でわざわざ書くんだと問われれば、自分の芸への肥やし(センスないんで理詰めなんです)もしくは偏執的ファンレター(ヨゴレ仕…もとい目立たないお仕事ばかりされてるので)とお答えしておきます。
『苺ましまろ』の6話の一番の見所は、クライマックス?の筆談シーンです(寝ている伸恵姉を起こさないように筆談で馬鹿話をする)。次のカットを見てください。

前後のカットも描きましたが、私は(c)のカットが素晴らしいと思います。「これが神戸守の真骨頂だ!」と思いました。
さて上図においてそれぞれのカットのつながりを考えた場合、 (c)は別に無くても良いことに注目してください。 (c)は美羽が『シーッ』とやることと千佳がスケブを手元に寄せる描写だけですのでストーリー的には大して意味がありません。『シーッ』をやらせたければ(d)の頭でやれば良いでしょう。
では何故(c)を挿入したのか。ポイントは(c)で手前に置かれたスケブにあるのではないでしょうか。

スケブに書かれたセリフは少々前のカット(左図No.01)で示されたものです。従って(c)(No.10)からは(01)が強くイメージされます(青線)。
一方、(01)と(10)の間には筆談を行っていないシーン(黄色部分)があり、くしゃみネタ、かつそれが10数秒間続くのでそれなりに強い印象を残します。しかしこの場面全体はあくまで筆談ネタがメインですので、くしゃみネタで話(視聴者のイメージ)が脱線しないよう、(10)のカットで流れを戻そうという意図があるのではないかと思います。
ここまでがひとつ。
次に(10)から励起されるカットが(11)です。演出的には(10)より遙かに重要かと思われます。まずアナと茉莉をロングで捉える事により(16)(17)への伏線を張っています。さらに(11)の構図が最後のオチのカット(27)に対応しています。 (27)の面白さはこの画ならではと思いますが、アナと茉莉が画面外に居るため、(11)で各キャラの位置関係を示しておかないとパッと見理解しがたいと思います。
ということでカット(11)は本場面のキモなわけですが、それを視聴者に印象づけるため(10)が補強として置かれているのだと思います。
先に述べたとおり(10)は別に無くても、ストーリーの意図は伝わります。また推測ですが脚本にも指定は無いでしょう。しかしあえてそれを入れることにより、それぞれのカットが有機的に結合されるのだと思います。
何かに引っかかる事無く場面が頭の中へ素直に流れ込んでくる、そんな神戸グルーヴは、以上の様な些細な小技が積み重なることによって生まれるのではないでしょうか。
またこういった手法(モンタージュ、カット繋がりを重視)を使用する演出家は、実写ならともかくアニメの世界では貴重であると思います。というのもこんにち、作画に頼ってアニメを演出する場合が多く、作画レベルの低さが演出の破綻を招きやすいという状況があると思うからです。
そのなかで、氏のモンタージュ主体の演出手法は、作品のクオリティの低下をくい止める有効な手段だと思われます。また何よりも、予算等が厳しくても『演出』によってクオリティを底上げできるということが素晴らしいと思います。
おわり。
最後に、以上は全て神戸氏の手柄ということになっていますが、事実に相違がございましたら関係者にお詫び申し上げます。またそれが無ければ氏の演出は成り立たなかった、ということで横手美智子氏による脚本は素晴らしかったのではないかと思います。
苺ましまろ 3

ばらスィー 生天目仁美 千葉紗子
Amazonで詳しく見るby G-Tools