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2010年05月16日

「宇宙ショーへようこそ」試写会の感想(ネタバレなし)

6/26公開のアニメ映画を、
プレミアム試写会にて一足先に鑑賞させて頂きました。
昔から注目している舛成孝二、倉田英之両氏による初の劇場作品です。



『宇宙ショーへようこそ』公式サイト


公式サイト、予告編映像以外の情報は入れてはいませんが
マニア以外には関係ない、技巧面でのネタバレは多少あります。

100512_1746~01.JPG

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2010年03月26日

ソ・ラ・ノ・ヲ・ト。思わせぶりの罪

ものすごく気が進まないのですが、
神戸守監督の信者として過去に色々書き散らかしてきた自分が
完全スルーするのはちょっとマズイと思いました。

なお、前の記事を読めば分かるとおり
私が、一般のアニメファンとはかなりずれた
嗜好、感性であるという事は一応自覚しております。


この作品中では

クレハがコンプレックスを吐露したり
フィリシアが鬱になったり
リオが鬱になったり
ノエルがヒィィィとか言ってましたが

その度に私はイライラしていました。

なぜならば、ことごとく私の知り得ない事から
キャラクターが打撃を受けているからです。
過去に何か色々あったらしい、というのは分かりますが
詳しい事情抜きでキャラの心理に寄り添えと言われても、無理です。

ヒロイン達に対して「その傷みを分かち合いたい!」と思っても
事情が分からないゆえ出来ない、というのは
萌え系アニメとしてはかなりストレスになると思います。
まるで彼女らから自分が拒絶されているような感じです。

また、現状が過去と比べてゆるすぎて
悩みが過去と現在においてリンクしている感じが薄く
PTSDのフラッシュバックのような唐突感が
常につきまとっていました。

そんなこんなしているうちに
大抵あとからチラッと原因になった出来事等が描かれますが
理屈では分かっても、
感情的には何のプラスにもなりませんでした。
リオの決断に至っては
取りうるべき選択肢が前もって示されていないので
決断の意味が理解できませんでした。あとから分かりますが…。

さて、
「あとから根本部分をネタバラシ」というのは
「投げっぱなしや作り手の力量不足」よりもタチが悪いと、私は考えます。

仮に制作側が、観客に与える情報量を絞ることにより
観客よりも優位に立ち、
それでもって物語をコントロールしている、
またはサプライズの連続だぞどうだすごいだろう
という気になっているならば、猛省すべきです。
本作からはなんだかそんな様な意図を感じます。

そんなことをしたら、それはもう物語ではないです。
それが言い過ぎだとしても、少なくとも
何をされても最後まで視聴するドM、もとい
コアなファンの為の物語にしか成り得ないでしょう。

謎を描きたいのならば、
観客に、キャラが知り得ている情報を提示しつつ
「テレビの前のみんなも一緒に考えましょう!」とやるべきです。
ミステリィ小説の鉄則でこんなのがあったような。

また冒頭に述べた理由で、本当に萌えさせたければ
キャラと喜怒哀楽を共に出来るような「情報のフィールド」を
用意すべきだと思います。

というわけで、
脚本家は「出し惜しみ(思わせぶり)」を使わないよう
自らを戒めるべきだったし
プロデューサーや監督は止めるべきであった、と思います。

細部には結構楽しめるところがあったものの
全体的には残念な出来に思えました。
監督名が伏せられていたとしたら3話ぐらいで切ったと思います。

うーん残念です…神戸守ってこの程度だったっけ?orz
演出に華が無いとかそういう欠点はあるにしても
根本部分で分かってない事は無い人だと思ってたのだが…。
今回は特に、放送前にA-1ピクチャーズのイベントにて
ファン歴約10年目にして
監督ご本人に接近遭遇を果たしたあとだったので超がっかりです。
できるなら褒めまくりたい。応援しまくりたい。

他にも
神戸守FCの総本山?である至好回路さまにて
ゲストとして色々発言させて頂いております。
ソ・ラ・ノ・ヲ・ト対策室 :至好回路
3話あたりまでの私の感想が読めます。

2010年01月31日

『シムーン』は百合かと思ったら正調ジュブナイルの傑作だった

個人的に「ゼロ年代で心に残ったアニメ」で『コメットさん』と並ぶ
双璧になることが決定したようです。
オタから脱落する前に、こういうのをあと1本ぐらい観てみたいものです。

あと2006年当時リアルタイムで観なくてほんとすみません。
「あざとすぎる百合だ」と回避してました。ほんとすみません。

それでは、全26話の感想をできるだけ冷静に書きます。
今更ですけどネタバレはありません。


1.テーマ前面出し

じつは、テーマ優先主義は好きではありません。
なぜなら失敗が多いからです。特にアマチュアの作者に顕著ですが、
テーマを語ろうとしてキャラに不自然な言動をさせたり、
無理矢理な話の展開をしがちだからです。

結果、血の通ったキャラクター、作品が出来ません。
証券会社のCMとかで、小さな孫が祖父に「これからは金利変動型投資信託の時代だね!!」とか
言っちゃいます。糞が!!!!と思います。

お話を作り込んでいった結果、隠しきれなかった思想がでてきちゃいました。
というのが一番良いのではないかと思います。

またアマチュア作品の場合、
語りたい!という原動力として、テーマ性は良い動機たりえますが
商業作品だと、テーマなんぞは一銭もゼニを生み出しません。
上記の害を承知でそれでもやるとしたら、ぶっちゃけオナヌィーでしょう。

シムーンは1,2話でアホみたいに明確なテーマ性を打ち出してきました。
非常に驚きました。
そして物語の定石をブン投げてでも、最終話までそれを貫き通したのは見事です。


2.巧みな設定

作品世界に置かれたガジェットが作品に緊張感を与えています。
シムーンの世界では、人は全て女性として生まれ、17歳になると「泉」へ行き
自らの意志で性別を選択、固定化します。

第1に、性の固定化は、少女(的な中性の人間)にとって
ある種のジェンダー・クライシス(性のありようの危機)なわけです。

第2に、純潔性が無くなるのか、性の固定化をすると
神の乗機ことシムーンを操縦できなくなります。
これはシムーンの操縦を生き甲斐とする少女達にとってアイデンティティの喪失を意味します。

第3に、隣国との戦争により主人公達は、
本来は祭祀用である飛行機械シムーンを兵器として使うことを強要されます。
それが嫌な場合、シムーンを降りて「泉」へ行くという選択が課されています。

何処にも退けない三重縛り。なんというサド設定。うまいと思います。
血なまぐさい描写は極力避けられているようですが、
戦場に置かれた少女達の重苦しい空気が良く出ていると思います。


3.ドブ板すぎるキャラ描写

キャラクターの抱く葛藤を執拗に描くことによって
視聴者が、キャラクターに寄り添っているような感覚を得ることができます。
彼女らのしてしまう恥ずかしい失敗も、誤った選択もあまさず拾っています。

外部から降ってわいてくる、幸運もほとんど無いです。
「だって、天才だから」的な主人公補正もほとんど無いです。
主人公達の決断によって、全ての物事が展開するのは
作劇的にけっこう面倒かつ意欲的かと思います。

まぁ副作用として、
メンバー間の争いが絶えない辛気くさーい雰囲気になっていますが
(主人公チームがこんなに仲の悪いアニメ見たこと無い)
「肥大する自我に苦しむ少女達」が余すことなく描写されていると思います。


4.何故かどんどん良くなる作画

予算かスケジュールの関係か、
スタッフがヒートアップしてきたのか(多分こっち)
あとになればなるほど作画が豪華に。
OP映像よりも良いカットがバンバン出てきます。
ハマっている視聴者にとっては大変お得です。


まとめ

思春期に、バクハツしそうな自意識を抱えた少女が
時としてそういう関係性を形づくるという意味で、
本作での百合要素は副次的な産物となっています。

本質は、彼女らが永遠の少女としてのモラトリアムを終えて
大人の世界に旅立っていくという(12人それぞれを描く!)
正調ジュブナイルとも言うべき物語です。

1話,2話において
作品の方向性が余すところ無く描かれますので、
視聴の継続はそこで決めると良いでしょう。
これは良いと思ったら、その期待は裏切られずむしろ加速して
エンディングを迎えられると思います。
なお前半にはちょっとダレる箇所があります。

逆に、昔の少女漫画というかタカラヅカ的な雰囲気は、
現状のオタク業界における
「おにゃのこ達がキャッキャウフフ」とかなりずれていますので
感性が全く合わないという人も居ると思います。
どちらにしろ、人を選ぶ作品と言えるでしょう。


それにしても、テレビアニメも捨てたもんじゃないですね。
今後もこのような、
作品に対しスタッフが真摯に向き合ったものが制作されることを望みます。
オタっぽいもの、真面目なもの、どういったものでも。
あ、でも出来ればオリジナルで。


最後に

アーエルいいよアーエル。バカだけど凛々しい。むはー
立場的に応援したくなるのは、使えないオスカルことパライエッタ。

リンク集

シムーン公式サイト
インタビュー、コメントで重大なネタバレ注意。

蔵出シムーン 監督+作画監督編
デッドリンクで公式メニューからは入れないです。ネタバレ注意。
スタッフのモチベーションが高かったことが伺えます。

『シムーン』、思春期のレクイエム(1)

私がとても好きなSF作家、秋山完氏による激賞文。
こんな長文かましてるなら新作・・・ゴホンゴホン。お待ちしています。
核心のネタバレ注意。

2009年12月10日

親父さん空気読め。(マイマイ新子2回目)

前回の記事で批判点を挙げましたが、2回目を観て新たな知見を得ましたので書きます。

念のため申しますが、難癖をつけたいのではなく
本気で応援したいので欠点もちゃんと書きたいのです。
また口コミで広げようという動きもあるなかでは
欠点を隠してプッシュするというのは
おすすめされる側にとってはうさんくさいし、反感を得る気がします。

以下核心では無いですがほんのりネタバレ。

さて。自分の考える本作最大の欠点を述べましょう。
新子の親父さんです。
登場のタイミング悪すぎですよ!エピローグまで我慢してて下さい。

前回指摘したテーマ的結論は、
実は親父さん登場直前のシーンで語られていました。
(とても分かりづらい描き方だと思いますがその点は割愛)
しかし親父さんの登場と朗らかな挿入歌のせいで、
記憶からさっぱり抜け落ちてしまったようです。

問題なのは、あの瞬間「子供の世界」から
「家族の物語」へ視点がシフトしてしまうことです。
これはモロ大人からの視点です。結構ガッカリです。
某なんとか合戦ぽこぽんのラストの
「おいおいこの物語は監督の愚痴だったのかよ」と感じが似ています。

ジイさんをサービスシーンまでつけてあれだけプッシュしたし
貴伊子の親父さんをあれだけ空気化したのだから
新子親父はスルーして良かったんじゃないかなぁと思います。
キャラは好きなんですけどね。

さらにクライマックスのシークエンスについて付け足しますと
ストーリーラインが

・平安
・昭和
・貴伊子視点
・新子+タツヨシ視点

に重層化して一気に難解になりますので
ただでさえ観客の頭はショート寸前と思われます。
そこに「家族っていいよね!!!!!!」みたいな
分かり易いモチーフを持ってくると
ことごとくそちらに誘導されてしまうんじゃないでしょうか。
自分もそうでした。
でもそれが描きたかった映画だとは思えないのです。

ーーーーー
フォローついでに。
ダム完成のあたりまでの出来は文句のつけようがないです。
見直して仰天したのは、諾子らの舟が防府に到着したのが
映画が始まってすぐだったこと。
あれだけトリッキーな構成を一瞬で説明出来ているのは素晴らしいです。

その後じんわりじわじわと諾子を小出しにしていく構成は
良いですねー。時間軸での二重構造が成立できているのは
計算された構成によるところが大きいのではないでしょうか。


萌え視点の感想があってもいいじゃないかコーナー。
貴伊子が母の真似をするシーンは
サプライズ的なカット割りもあって何度もキュンとなります。
キモイ言うな。事実だったんで書きます。

でも、色々カッ飛んでいたおっ母さん(昭和20年代にウェディングドレス)と
貴伊子が母をどう捉えているかが分かる良いシーンですね。
別に私は家族解体主義者ではないのです。ハイ。

参考リンク:
「マイマイ新子と千年の魔法」個人サイト感想リンク集~なんでぼくは泣いているのか教えてくれ~ - たまごまごごはん

精力的な活動が素敵です。

2009年11月27日

『マイマイ新子と千年の魔法』は凡作か傑作のどちらか

減点方式の採点だと佳作~良作の映画で、
加点方式の採点だと傑作の映画である、といった感想です。

エピソードの内容などネタバレはありません。
(後述のyoutube映像にある内容については述べます)

「マイマイ新子と千年の魔法」公式サイト

では減点方式から。
クライマックスのシークエンスが、映画のタイトルとちょっとずれてしまい
結局そのまま終わるのがカタルシスに欠けました。

一般の観客は、後述するテーマ性を
「頼まなくても勝手に考えて補完、納得してくれる」存在ではなく
主人公たちの行動言動を銀幕上で追跡しているわけですから
これは肩すかしを食らうのでは無いでしょうか。

別に、ああいう展開で水を差された!けしからん!というわけではなく、
クライマックスにおいて、それぞれ別の思想で動いていた二人が
最終的に合流(テーマ的な意味で)しなかったのは「アレ?」と思いました。
(あーネタバレすれば説明しやすい)

今までと違う思想で動いた新子はどう変わったん?
そして貴伊子は新子に何を伝えたのか?

がスルー気味というのは、自分的にはちょっと不満です。

丁寧に丁寧に積み上げてきたパズルの完成形を見せられる前に
幕が下りてしまった感じです。
「あとはみんなで考えてね!(はぁと)」という意図なのかもしれませんが
(そしておそらく皆正解にたどり着けますが)
個人的には映画の中でやってほしかったです。
ただ、もう片方の二人組に関してはちゃんとオチがついていて
嬉しかったですね。

以上減点方式ですが、まぁこれは、スピルバーグ系映画で育った私の
視野の狭い映画鑑賞方法なのかもしれません。
でも一般の人はこんな感じじゃないかなーと思います。

(なお上記の批判については、他者の感想を読んでいたところ
「セリフにのぼらないなど分かりにくいが
実は描写されていたのではないか?」と思い始めました。
そういう意味では監督のこの記事は納得がいきます。
すでに映画を見た方にお願いがあります。 - メイキング・オブ・マイマイ新子

でも自分はファーストインプレッションを大事にしたいので
あえて書きました。)

(12/10追記:2回目観ましたのでこの論点は別記事でフォローしました。)

 
さて真面目くさった話はこれぐらいだ!

細部は神!
エロい!
監督の持つフェティッシュで満ちあふれているぜ!!

肩の高さから人物の後頭部を捉えたショットが良いです。
観客から表情が伺えないのがエロいです(プロモの中にもありますね)。
足元だけを捉えたシーンが多用されていますがこれまたエロい。
足フェチかよ!
そしてそれが物語的に重要だったりするのがまた良いです。

これを見てなんかムズムズしちゃった人は劇場に急げ!(速攻終わりそうなので)
まぁ私は公式トップのキービジュアル見ただけで劇場行こうと思いましたけどね!
監督自ら言ってるのでどうどうと書きますが、良い百合モノだと思います。
極めて正統的なガール・ミーツ・ガールです。

若年向けアニメの最近の潮流として、
ソフトレズ的行為をとにかく繰り返す作品が多いような気がします。
これは、
視聴者への釣り針になる描写を細切れに積み重ねる手法と理解できます。
大量のコンテンツを次々とザッピングしていく現代では
そういった手法は分からないでもないですが(実際に支持されている)、
釣り針が見え見えなのと、細切れでは大きなうねりが起こらないので
個人的にはイマイチ乗れません。

その点本作はベテランのワザを見せつけてくれます。
表面的でない内面における心の交歓を描くのが、百合の本道である。
割とマジに言ってます。

あと陰影マニア的には、夜のシーンがたいへん美しいと感じました。
「暗い」という表現はとても難しいと思いますが
懐中電灯という小道具を用いたのが白眉だと思います。
エフェクトや合成処理も含め
デジタル時代ならではの素晴らしい表現でした。
監督は昔からCGをさりげなく使うのが上手いと思います。

真面目な流れに戻りますが、
昭和の時代をいたずらに美化しない姿勢も好印象でした。
上のシーンには「チョコレートは贅沢品だった」という意味合いがありますが
そこから別に飽食の時代を批判したりしません。
ついでに千年前の社会を批判したりもしません。
ですので私のような若輩者でも居心地良く見られます。

千年ぶんを描くわけですから特定の時代に肩入れしないのは正解ですが
良く踏みとどまってくれたという感じです。
誰とは言いませんが、世代がもっと上の監督が作ったら
ミラクル説教タイムがあったことでしょう。


最後に、
千年分の時間を「土地」というキーワードでまとめあげ
超常現象要素無しで
違和感なく一本のフィルムに落とし込んだのはすごいです。
普通なら企画段階で蹴られますよ。完成形が全く想像できませんもの。
自分も積極的に吸収、見習わなくてはならないと思いました。

プロモを見て「??なんだこれは」と思った方は
是非劇場に足を運んでください。マジで興業的にやばそうなので。

 

超最後に、鉄オタ視点から(読まなくていいです)。
まさかアニメの中で、
工場引き込み線のディーゼル機関車(しかもロッド式)を見られるとは。いやーん凸型車両素敵。
貨車の台車(足回り)もちゃんと昔風だし。
蒸気機関車はさすがに誰でもちゃんと調べますが、
DLまでリサーチしていたとは驚きです。
見習おう。


『マイマイ新子と千年の魔法』上映存続を! - 署名活動するなら『署名TV』
よかったらお願いします。
(企画者に対しても)匿名可、メールアドレスがあればOK。
モバイル用:http://www.shomei.tv/mobile/project.php?pid=1385

2009年08月07日

「サマーウォーズ」は完璧すぎて物足りない

ご無沙汰しております。早速観てきました。
要旨:
1.映画賞総なめか。脚本すげぇ
2.次回は、ブレイクスルーが無いと飽きられそう

予告編程度しかネタバレは無いと思います。

 

映画「サマーウォーズ」公式サイト

演出と脚本の完成度は大したもんです。
田舎とバーチャル空間という、水と油の要素を
恐ろしく巧みにまとめ上げています。

あと、監督のご結婚と、「家族」がテーマと聞いていたので
「あーあ細田監督丸くなったかぁ、毒の消えたフィルムかも知れないなぁ」と
思っていましたが、何のなんの、
人間関係に不安定な要素を織り込むことによって
そこから順序立てて「家族って素晴らしい!」を説明しています。

「家族って素晴らしい!」を「アタリマエダロ」として
過程を描かずに結論づけてしまうと、
同じイデオロギーを持っている人、
日頃からそういう事を実感できている人は
自分の立ち位置を再確認できて大満足なんでしょうが、
そうでない人には「ハァ?」となります。

いや私のやっかみじゃないですよ、
例えば反抗したい盛りの十代の人はそうではないでしょうか。
教育目的で作られたフィルム、
または完璧な善意で作られたフィルムの持つ
落とし穴に嵌っていない事に「さすが細田」と思いました。

さて後半では悪い点を。

完璧すぎて、スキマからはみ出てくるような情動があまり伝わってきませんでした。
あ、鑑賞中はドキドキしましたが。
ハヤオ爺のフィルムのほうが、脚本が滅茶苦茶でも情念が伝わってくるのは
どういうこっちゃ。
知的好奇心は物凄いレベルで満たされるのですが、
後を引くような感覚は無かったです。

なんというか、電子音楽と同じで
寸分の狂いのない完璧なリズム故に味気ないというか。
表情芝居などにギャグマンガチックな作画が散りばめられていて
「アナログ的ゆらぎ」を表現していたような気はしましたが
逆にそれに違和感を感じたほどです。

勝手な提案ですが、楽団員が優秀すぎて
監督の指示に寸分違わない演奏をしてしまうので
次回作には素人っぽい人か、
またはへそまがりの人を混ぜるのが良い気がします。

最後に、「時かけ」以降の「細田ブーム」に関して
個人的見解に過ぎませんが一言述べたいと思います。

特にアニメオタク層に言えるのですが、彼らは
「アニメの演出=見た目、スタイル」と思っていたフシがあります。
ぶっちゃけて言えば、
『ヤマカンや新房の演出はすごい!』であります。
(なお彼らの「スタイル」に関しては私は否定しません。)

そんな折りに、細田監督が、伝統的なモンタージュ技法などの
演出をハイレベルで操りながらやって来た。
それを観たアニオタさんがビックリして高評価に繋がった、
と私は考えています。

ですので、細田演出に「慣れてしまった」観客が
今後何を求めるか、と考えてしまいます。
「オレはこれが好きなんだぁ!」という
作り手のパッションではないでしょうか。

海外進出を狙っているのか、
お行儀を良くしたような描写もいくつかあったので
次回作では、もっと弾けて欲しいなぁと思います。
もっとこう、むっつりスケベな感じが欲しいのです。なんちゅうか。

過去に書いた記事
細田守『時をかける少女』演出ピークのズレ(2006年08月06日)
『おジャ魔女どれみドッカ~ン!』にみる細田守のカメラワーク(2005年10月21日)

あーあと、私が前から応援してるモノをネタにしてくれて
ちょっと嬉しかったです。
嘘が多かったり取材してなさそうな感じでも、許せます。
(でも国際情勢を鑑みて差し替えました、という理由だったら嫌だなぁ)

2006年08月06日

細田守『時をかける少女』演出ピークのズレ

観てきました。たいへん満足しました。満足しましたが…何なんだこのモヤモヤは!
単なる屈折したファン心理なのか!?というわけで屁理屈こねてみました。

時をかける少女-公式

段階的にネタバレしていきますのでそのつど警告します。とりあえずネタバレ無しの一般的な感想です。

  • 爽やか感動系が好きな人におすすめ。主題歌の雰囲気そのまま
  • アニメオタク向けでもないしノスタル爺向けでもないよ
  • 男女別なく主人公に共感できそう
  • 思ったよりコミカルで楽しい
  • 作り込みが細かい、下手な実写映画よりも映画らしい
  • あの芝居を実写でやるのは(邦画ビジネスの現状からみて)困難だと思う
  • 同ポ最高
  • ジブリ映画何本ぶんだよ的な一流美術スタッフ
  • マモたんはやっぱりヘンタイだなぁ

自分で書いていて胡散臭く感じるぐらいにマイナス点が見あたらないのですが、
「うぉぉぉぉこれは傑作だぁぁぁぁ」という感じにはならないのです。
あれこれ考えた結果ひとつの仮説を思いつきました。

固有名詞やエピソードの内容は書いてありませんがストーリー構成について詳説するので、察しの良い方はどんな物語か気づく可能性があります。


 


 


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2005年11月24日

神戸グルーヴ・神戸守『苺ましまろ』#6演出研究

この項はセリフや画面の詳細なネタバレを含んでいます。

神戸守氏の演出による長尺の場面を見ていて、そのシーンに非常に没入できることがあります。有り体に言えばシンクロ率MAXと言いますか…。例えば『コメットさん』1話最後とか『エルフェンリート』13話クライマックスとかです。私はそれを勝手に『神戸グルーヴ』と呼んでましたが、その正体が何なのか、今まで分かりかねておりました(音楽のせいかなと思っていた)。

ところが、今回アニメ版『苺ましまろ』の6話を観て何か分かったような気がしましたので、その考察を述べさせて頂きます。何でわざわざ書くんだと問われれば、自分の芸への肥やし(センスないんで理詰めなんです)もしくは偏執的ファンレター(ヨゴレ仕…もとい目立たないお仕事ばかりされてるので)とお答えしておきます。

『苺ましまろ』の6話の一番の見所は、クライマックス?の筆談シーンです(寝ている伸恵姉を起こさないように筆談で馬鹿話をする)。次のカットを見てください。
ichigom6_1.png
前後のカットも描きましたが、私は(c)のカットが素晴らしいと思います。「これが神戸守の真骨頂だ!」と思いました。

さて上図においてそれぞれのカットのつながりを考えた場合、 (c)は別に無くても良いことに注目してください。 (c)は美羽が『シーッ』とやることと千佳がスケブを手元に寄せる描写だけですのでストーリー的には大して意味がありません。『シーッ』をやらせたければ(d)の頭でやれば良いでしょう。

では何故(c)を挿入したのか。ポイントは(c)で手前に置かれたスケブにあるのではないでしょうか。

ichigom6_2.png

スケブに書かれたセリフは少々前のカット(左図No.01)で示されたものです。従って(c)(No.10)からは(01)が強くイメージされます(青線)。

一方、(01)と(10)の間には筆談を行っていないシーン(黄色部分)があり、くしゃみネタ、かつそれが10数秒間続くのでそれなりに強い印象を残します。しかしこの場面全体はあくまで筆談ネタがメインですので、くしゃみネタで話(視聴者のイメージ)が脱線しないよう、(10)のカットで流れを戻そうという意図があるのではないかと思います。

ここまでがひとつ。

次に(10)から励起されるカットが(11)です。演出的には(10)より遙かに重要かと思われます。まずアナと茉莉をロングで捉える事により(16)(17)への伏線を張っています。さらに(11)の構図が最後のオチのカット(27)に対応しています。 (27)の面白さはこの画ならではと思いますが、アナと茉莉が画面外に居るため、(11)で各キャラの位置関係を示しておかないとパッと見理解しがたいと思います。

ということでカット(11)は本場面のキモなわけですが、それを視聴者に印象づけるため(10)が補強として置かれているのだと思います。

先に述べたとおり(10)は別に無くても、ストーリーの意図は伝わります。また推測ですが脚本にも指定は無いでしょう。しかしあえてそれを入れることにより、それぞれのカットが有機的に結合されるのだと思います。

何かに引っかかる事無く場面が頭の中へ素直に流れ込んでくる、そんな神戸グルーヴは、以上の様な些細な小技が積み重なることによって生まれるのではないでしょうか。

またこういった手法(モンタージュ、カット繋がりを重視)を使用する演出家は、実写ならともかくアニメの世界では貴重であると思います。というのもこんにち、作画に頼ってアニメを演出する場合が多く、作画レベルの低さが演出の破綻を招きやすいという状況があると思うからです。

そのなかで、氏のモンタージュ主体の演出手法は、作品のクオリティの低下をくい止める有効な手段だと思われます。また何よりも、予算等が厳しくても『演出』によってクオリティを底上げできるということが素晴らしいと思います。

おわり。

最後に、以上は全て神戸氏の手柄ということになっていますが、事実に相違がございましたら関係者にお詫び申し上げます。またそれが無ければ氏の演出は成り立たなかった、ということで横手美智子氏による脚本は素晴らしかったのではないかと思います。

苺ましまろ 3
B000BI55UG
ばらスィー 生天目仁美 千葉紗子


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2005年11月06日

板東のグーパンとにゅうの泣き顔はイコールである・神戸守の作家性を妄想する

アニメ『エルフェンリート』4話までの感想を元にリライト:2005/11

この文は神戸守監督論とさせて頂きます。なので原作であった描写、あるいは脚本で示されたことを監督の手柄みたいに述べてしまうかもしれませんが、その場合はお詫び申し上げます。

神戸仲間(なんだそりゃ)と話をすると決まって話題になるのが「何で神戸守監督作品はマニアにすらウケないのか」です。今のところの結論は『氏の作家性が見えてこないから』ですが、どっこい私には見えます(ヤバい発言ですね)。その作家性が自分が信者を続けている理由なのですが、そのへんをちょっと述べたいと思います。ちなみにぶっちゃけますと、演出だけを見るなら細田守氏の方が好きだったりします。


地上波放映ではカット&ボカシされまくりだったらしい『エルフェンリート』が記憶に新しいですが、氏の過去作品を見ていくと、暴力とかに代表される『負の感情』を描くことにこだわりがあるのではという感じを受けます。なかでも印象的だったのは、『出撃!マシンロボレスキュー/8話 激突!ジェット対ステルス』において、主人公と悪の側の少年が対決をするシーンでした。

最近のアニメにおいては、戦う少年少女は使い魔とか魔法とかを操り、実際に拳を交える事は少ないように思えます。自主規制のせいかもしれませんが、なんだか冷戦期の米ソ代理戦争を連想させます。

まぁそれはさておき。そういうなかにあって、くだんの対決シーンはお互いが巨大ロボ遣いなのにも関わらずグーでパンチなガチンコのケンカでした。しかも『バキィ!』ではなくて『ごっ』という感じのです。ショーアップされたプロレスのようなケンカではなく、心に響くケンカシーンでした。ちなみに監督自らコンテを切っています。

さすがに『コメットさん☆』ではそんなシーンは無かったですが、あのなかでも『泣く』とか『怒る』とか負の感情を覚えるような場面も割とストレートに描写していたように覚えています。(ライバルのメテオさんが最終的に主役を食ってしまったのもその辺が原因?)

負の感情を伴う行為を正面切って描くというのは、最近の商業アニメにおいてはゆるやかではありますが禁忌となっている気がします(これは主観でしょうか)。『視聴者が気まずくなる描写』はスポンサーが許さないでしょうし、作り手も受け手も「これはCoolじゃない」と思っているような気がします。

突然思いついたのですが、宮崎御大が最近多用する『超大粒の涙』は一種の『照れ』なのではないでしょうか。

もちろん、アニメの中の無邪気な空想世界に対して「現実はそんなに甘(略)」というような馬鹿な講釈を垂れる気はないです。しかし完璧に消臭されハッピーな描写ばかり、不幸な描写もハッピーの為の味付け、では何が本当にハッピーなのか訳が分からなくなると思うのですがいかがでしょうか。

どんな感情も等価に描かれてこそ、各々が真に迫ってくる。

『エルフェンリート』において、にゅう(ルーシー)の不幸な生い立ちを際だたせるために残酷描写を入れる、これは演出ロジックとしてはオーソドックスなものですが、氏はそれを徹底的に行う。
それが神戸氏の作家性なのではないかと、個人的にはにらんでおります。

…あくまでいち信者の妄想に過ぎませんが。


参考:


エルフェンリート 1st Note
B0002XVV4O
岡本倫 鈴木千尋 小林沙苗


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関連商品
エルフェンリート 2nd Note
エルフェンリート 3rd Note
エルフェンリート 4th Note
エルフェンリート 5th Note
エルフェンリート 6th Note
エルフェンリート 7th Note
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2005年10月21日

『おジャ魔女どれみドッカ~ン!』にみる細田守のカメラワーク

(2002/11初稿、2005リライト)

先の記事で『カメラは観客の視線の代理』という話をしましたが、これを逆手に取ると色々な演出が可能です。その例として、私が『おジャ魔女どれみドッカ~ン!』40話の中ですげーなーと思ったシーンを紹介いたします。演出を担当されたのは、鋭い演出やハウル降板劇などでマニア筋から熱い視線を受けている細田守氏です。

話の中盤で、どれみ(主人公)と未来(ゲストキャラ)がセルフタイマーで記念写真を撮るシーン。ここでひとつヘンなレイアウトのカットが出てきます。

おジャ魔女どれみドッカ~ン#40約5秒のカットです。二人がカメラに向かってポーズを取っています。立ち位置の変更はありません。画面からは見切れていますが、どれみは未来の向かって左下に居ます。とすると未来の画面での位置が、左寄せになっているのはおかしい気がします。

このカットはおそらく『写真機の視点を表している』と思うのです。

画面が対象の中心からずれているのは、写真機は意志のない機械なのだからであり、もし人物が中央にあるとしたらそれは主観性を持った視点(写真機に意志がある、もしくは観客がこの場面を覗き見している)という事になってしまいます。この場面では人間はどれみと未来の二人だけなので、第三者の存在を(観客の無意識に)イメージさせてはならないのです。『ふたりだけに流れる時間』という感じでしょうか。

あとは、佐倉未来という人物に、どことなく現実感のない存在(単なる風景)というイメージを付加する目的もあるのではないでしょうか。

演出マニアの深読み?そうかもしれません。単調なカットだから単にハッタリをかましたかっただけかもしれません。

ただ少なくとも作る側にそういった考えがないと
『人物を中央からずらして立たせるとカッコいいよねー』とか
『クレーンを使って人物をなめるように移動撮影するとカッコいいよねー』とかいう
歯止めの効かない状況が生まれるわけで、結果現実感のないフィルムが出来上がるわけです。みんな『マトリックス』の観すぎです(もしくは初期の堤幸彦?)。ちなみにマトリックスでは、例のすごいカメラワークによって逆に「ここは現実世界じゃないよ」という演出をしているわけですね。


おジャ魔女どれみ ドッカ~ン! Vol.10
B00009AV1T
千葉千恵巳 秋谷智子 松岡由貴


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2005年10月21日

某映画に見る、やってはいけないカメラワーク

(2002/11初稿、2005リライト)

ある日、映画『冷静と情熱のあいだ』のTV放送があったので見てみました。

なんと主役の男の女性遍歴語りから始まりました。やっぱこう、とっかえひっかえなチョイワルの男の方がモテるって言いたいんですね!DTスピリッツ溢れる当方にはとても居心地の悪そうな映画です!でも頑張る。イタリアの街見たいし。

うはぁ、目が痛い!!!

こんなにカメラワークが酷い映画は初めてです。学生の頃TVニュースカメラマンと一緒に仕事をしてたので断言します。彼らの方がいい絵を撮れます!

映像において、スクリーンとかブラウン管は覗き窓のようなものです。視聴者はそこから別の世界を覗き込むわけで、従って視聴者が窓の向こうに見える何に注目するか、が大事になってきます。映像が視聴者の視線とシンクロできるかが、視聴者を映像の世界へ引き込むための一番のキモだと思います。

それらの点でこの映画は

  • 意味のない移動撮影が多すぎてどこを見ていいか分からない。浮遊霊の視点みたい
  • 静止した人物のアップを捉えると、何故か画面中央からずらす。思わず目が泳いてしまう
  • すごい望遠カット。アクセント程度なら良いのですが
  • すごいクレーン撮影
等々、ハッタリはすごいけど見ているほうとしては何だか実感の伴わないシーンのオンパレードでした。

これらは、スタッフが異国の情景を目一杯フィルムに焼き付けようと頑張ったら、視点が中途半端になっちゃったのでしょうか。とはいえプロの仕事としては問題外のカメラワークとカット割りでしょう。あれを観て、ちゃぶ台をひっくり返した映画関係者は絶対いるハズだ。

「ふつーの人はそんなの気にしてねーって」という感想をお持ちになる方もおられると思いますが、先に述べたとおりこれらは『無意識における感情移入度』に関わる事なので、観客にとっては大問題な事だと思うのです。(俳優が好きとか、自分の立場を登場人物に投影できる人なら面白そうですが。)

また、もしそれらの演出が適切に効果的に行われていたとしたら、単なるおデート用映画の枠を越えられたかも知れないのですよ。舞台や企画が良いだけに、個人的に非常に残念な映画でありました。

2005追記:

3年経って私もオトナになりましたので、間違いがあったらヤバイということでレンタルして再度観ました。

超おかしいよ!やっぱり!
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似てませんすみません。序盤、主人公二人が劇的に再会するシーン。なんでズーム方向が人物を向いてないんだよぅ。以降ヒロインの『中央ポジションずらし構図』が何カットも繰り返されるので、ミスではなく意図的だと思われます。

てかこれじゃ、「志村~!志村うしろ~!!」じゃないですか。

精一杯好意的に解釈すると、スタッフは静止画フレーム上のイメージに拘りすぎたんではないかなーと。実際一時停止するとカッコイイ絵なんですね。でも視覚力学的には支離滅裂になっちゃった、といった感じです。

ちなみにストーリーのほうですが、やっぱり私は噛ませ犬のほうに感情移入しちゃいますな。一途な人たちじゃないですか。

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