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2005年11月06日

板東のグーパンとにゅうの泣き顔はイコールである・神戸守の作家性を妄想する

アニメ『エルフェンリート』4話までの感想を元にリライト:2005/11

この文は神戸守監督論とさせて頂きます。なので原作であった描写、あるいは脚本で示されたことを監督の手柄みたいに述べてしまうかもしれませんが、その場合はお詫び申し上げます。

神戸仲間(なんだそりゃ)と話をすると決まって話題になるのが「何で神戸守監督作品はマニアにすらウケないのか」です。今のところの結論は『氏の作家性が見えてこないから』ですが、どっこい私には見えます(ヤバい発言ですね)。その作家性が自分が信者を続けている理由なのですが、そのへんをちょっと述べたいと思います。ちなみにぶっちゃけますと、演出だけを見るなら細田守氏の方が好きだったりします。


地上波放映ではカット&ボカシされまくりだったらしい『エルフェンリート』が記憶に新しいですが、氏の過去作品を見ていくと、暴力とかに代表される『負の感情』を描くことにこだわりがあるのではという感じを受けます。なかでも印象的だったのは、『出撃!マシンロボレスキュー/8話 激突!ジェット対ステルス』において、主人公と悪の側の少年が対決をするシーンでした。

最近のアニメにおいては、戦う少年少女は使い魔とか魔法とかを操り、実際に拳を交える事は少ないように思えます。自主規制のせいかもしれませんが、なんだか冷戦期の米ソ代理戦争を連想させます。

まぁそれはさておき。そういうなかにあって、くだんの対決シーンはお互いが巨大ロボ遣いなのにも関わらずグーでパンチなガチンコのケンカでした。しかも『バキィ!』ではなくて『ごっ』という感じのです。ショーアップされたプロレスのようなケンカではなく、心に響くケンカシーンでした。ちなみに監督自らコンテを切っています。

さすがに『コメットさん☆』ではそんなシーンは無かったですが、あのなかでも『泣く』とか『怒る』とか負の感情を覚えるような場面も割とストレートに描写していたように覚えています。(ライバルのメテオさんが最終的に主役を食ってしまったのもその辺が原因?)

負の感情を伴う行為を正面切って描くというのは、最近の商業アニメにおいてはゆるやかではありますが禁忌となっている気がします(これは主観でしょうか)。『視聴者が気まずくなる描写』はスポンサーが許さないでしょうし、作り手も受け手も「これはCoolじゃない」と思っているような気がします。

突然思いついたのですが、宮崎御大が最近多用する『超大粒の涙』は一種の『照れ』なのではないでしょうか。

もちろん、アニメの中の無邪気な空想世界に対して「現実はそんなに甘(略)」というような馬鹿な講釈を垂れる気はないです。しかし完璧に消臭されハッピーな描写ばかり、不幸な描写もハッピーの為の味付け、では何が本当にハッピーなのか訳が分からなくなると思うのですがいかがでしょうか。

どんな感情も等価に描かれてこそ、各々が真に迫ってくる。

『エルフェンリート』において、にゅう(ルーシー)の不幸な生い立ちを際だたせるために残酷描写を入れる、これは演出ロジックとしてはオーソドックスなものですが、氏はそれを徹底的に行う。
それが神戸氏の作家性なのではないかと、個人的にはにらんでおります。

…あくまでいち信者の妄想に過ぎませんが。


参考:


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