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2010年03月26日

[ 信者アニメ評論 ]

ソ・ラ・ノ・ヲ・ト。思わせぶりの罪

ものすごく気が進まないのですが、
神戸守監督の信者として過去に色々書き散らかしてきた自分が
完全スルーするのはちょっとマズイと思いました。

なお、前の記事を読めば分かるとおり
私が、一般のアニメファンとはかなりずれた
嗜好、感性であるという事は一応自覚しております。


この作品中では

クレハがコンプレックスを吐露したり
フィリシアが鬱になったり
リオが鬱になったり
ノエルがヒィィィとか言ってましたが

その度に私はイライラしていました。

なぜならば、ことごとく私の知り得ない事から
キャラクターが打撃を受けているからです。
過去に何か色々あったらしい、というのは分かりますが
詳しい事情抜きでキャラの心理に寄り添えと言われても、無理です。

ヒロイン達に対して「その傷みを分かち合いたい!」と思っても
事情が分からないゆえ出来ない、というのは
萌え系アニメとしてはかなりストレスになると思います。
まるで彼女らから自分が拒絶されているような感じです。

また、現状が過去と比べてゆるすぎて
悩みが過去と現在においてリンクしている感じが薄く
PTSDのフラッシュバックのような唐突感が
常につきまとっていました。

そんなこんなしているうちに
大抵あとからチラッと原因になった出来事等が描かれますが
理屈では分かっても、
感情的には何のプラスにもなりませんでした。
リオの決断に至っては
取りうるべき選択肢が前もって示されていないので
決断の意味が理解できませんでした。あとから分かりますが…。

さて、
「あとから根本部分をネタバラシ」というのは
「投げっぱなしや作り手の力量不足」よりもタチが悪いと、私は考えます。

仮に制作側が、観客に与える情報量を絞ることにより
観客よりも優位に立ち、
それでもって物語をコントロールしている、
またはサプライズの連続だぞどうだすごいだろう
という気になっているならば、猛省すべきです。
本作からはなんだかそんな様な意図を感じます。

そんなことをしたら、それはもう物語ではないです。
それが言い過ぎだとしても、少なくとも
何をされても最後まで視聴するドM、もとい
コアなファンの為の物語にしか成り得ないでしょう。

謎を描きたいのならば、
観客に、キャラが知り得ている情報を提示しつつ
「テレビの前のみんなも一緒に考えましょう!」とやるべきです。
ミステリィ小説の鉄則でこんなのがあったような。

また冒頭に述べた理由で、本当に萌えさせたければ
キャラと喜怒哀楽を共に出来るような「情報のフィールド」を
用意すべきだと思います。

というわけで、
脚本家は「出し惜しみ(思わせぶり)」を使わないよう
自らを戒めるべきだったし
プロデューサーや監督は止めるべきであった、と思います。

細部には結構楽しめるところがあったものの
全体的には残念な出来に思えました。
監督名が伏せられていたとしたら3話ぐらいで切ったと思います。

うーん残念です…神戸守ってこの程度だったっけ?orz
演出に華が無いとかそういう欠点はあるにしても
根本部分で分かってない事は無い人だと思ってたのだが…。
今回は特に、放送前にA-1ピクチャーズのイベントにて
ファン歴約10年目にして
監督ご本人に接近遭遇を果たしたあとだったので超がっかりです。
できるなら褒めまくりたい。応援しまくりたい。

他にも
神戸守FCの総本山?である至好回路さまにて
ゲストとして色々発言させて頂いております。
ソ・ラ・ノ・ヲ・ト対策室 :至好回路
3話あたりまでの私の感想が読めます。

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